なぜ毒親は治せないのか。毒親とは「親は偉大である。」という風習を利用した愛情中毒者であるから。
目次
[スポンサードリンク]
あれもしろ、これもしろと過干渉な毒親。
親の立場だからって子どもになんでも指示していいはずがないのに、自分の物だと信じて疑わない親は多くいます。
どうして毒親になってしまうのか、どうして毒親は治らないのか。
僕の経験も踏まえた、毒親が治らないこの状況について解説していきます。
毒親が治らない原因
親自身が受け継いだ風習や世間体を恐れているため
男が指輪をつけるなんて女々しいとか、女は家事だけやっていればいいという、どこかアマゾンあたりに住む先住民族のしきたりと同じような、何も考えずに従わないといけないルールが、日本に根付いています。
「なんで?」と聞いても、「そういうもんなんだ。」という答えになっていない答えしか返せない。なぜなら親自身もそうやって自分の親や世間から教えられたから。
それに反することをすると、世間から白い目で見られる。常識や当たり前から逸脱した奴に関わると、こっちまで迫害されるから避けられる。
そういった「なんとなく」で続いている風習の一つに、「親は偉大である。」というものがあるために、毒親という存在が昔から形成され続けてきたのだと思います。
子がどんなに意見しようと、「黙って親の言うことを聞け。」、「親には感謝しないといけない。」という風習でゴリ押しできる。
アメリカの人種差別と同じですね。白人は黒人より優秀であり、バスに白人専用の席があって、それに座った黒人が逮捕されるという理不尽な事件。
もっと前で言えば貴族制度があったヨーロッパで、何をやろうと貴族は正しい。たとえ殺人を犯しても貴族だから許される、という俺ルール。
これらと同じように、いつからあったか分からない昔からの風習がなくならない限り、毒親という存在もなくなりはしないと思います。
「親は偉大だから、偉大であるように振る舞わないといけない」、と思ってとりあえず怒鳴っとこうという感覚で怒る親たち。
「とりあえず殴っとけばいいだろう」という軽い気持ちでやる体罰。
「だってみんながそうやってきたんじゃないか。」、毒親は内心そう思っています。
「だからお前も結婚して子どもができたら、同じように怒鳴ったり殴ればいい。」、とも思っています。
実際、僕も自分の父親にそう言われました。
ストレスの管理は自分とは無関係だと思っているから
仕事や日々の生活によるストレスがどれだけ、生きるための人格を形成させるかをまるで他人事のように思ってしまっている毒親がいます。
毎日が仕事で忙しくてストレスを抱えたまま、家に帰ってご飯を食って寝るだけ。家族との関わりは文句か怒鳴るだけ。
生活とはここでは睡眠、食事を主に指します。
大して寝なかったり、いびきをかこうが生活に支障はないし、ご飯なんかその辺にあるもの食ってればいいっしょ、という人たち。
自分がカッとなって怒鳴ったり、殴ったりしてしまうのは、単純に子どもが悪いことをしたからであって、自分は一切悪くない。
「なんで冷蔵庫を開けっぱなしにしているんだ!!!」と怒号を上げると同時に殴ってくる父親。
この父親は、「子どもが冷蔵庫を閉めてなかったんだから怒って殴るのは当然だろ」、と自分に原因がないと思っているので、たとえ子どもが今後、冷蔵庫を閉め続けたとしても怒号と体罰はなくなりません。
「いつまでテレビを見てるんだ!!!宿題はやったのか!!そんなんで社会に通用するとおもうな!!!」とテレビの電源を切って、リモコンをガチャン!と机に放り投げる。
じゃあ宿題を終わらせてからテレビを見るようにしよう、と正しても親はまた怒鳴ってきます。次はなにか。
「おい!!なんでこのペン捨てたんだ!まだ使えるだろ!!!物を大切にしろ!!!」
「いつになったら食い終わるんだ!!みんなお前が食べ終わるのをいつも待ってるだろうが!反省もできんのか!!」
「いつまで起きてる!!子どもは11時には寝ろ!この不良が!!!」
「社会は厳しいんだ!!!お前が親の言う通りに聞けないなら、どこへ行ったってやっていけるわけがないからな!!」
「どうして親の気持ちがわからない!!お前を愛しているからこそ言ってやってんだ!!よその人間になら言わないんだから、ありがたく思え!!!」
「お前なんか初めからいなければよかったんだ!!お前なんか死ね!!!」
さてこの父親のヒステリーは治るのでしょうか。むしろエスカレートしているような。
子どもをストレスのはけ口にしてしまっています。
「親」や「愛」という言葉を利用して、好き放題やって、なおかつそれが正しいと疑わない父親が、毒親という自覚すらも持てるのでしょうか。
だから毒親は治らない。
「自分は毒親じゃない。子どもを愛しているだけ。愛してるんだから分かってくれ。これが親なんだ。お前が悪いだけだ。お前が悪いから、怒鳴らないといけないじゃないか。言うことを聞かないから殴って躾けるんじゃないか。どうしてわかってくれない?親のせいにするのか?お前は自分勝手な人間だな。そんな子に育てた覚えはない。お前なんか生まれてこなければ良かったんだ。俺の子がお前じゃなかったら良かったんだ。早く死ね。死んでしまえ。俺の視界に入ってくるな。」
毒親の頭の中は怖いです。
自分の感情をコントロールできるのは自分だけです。自分の肉体をコントロールして、感情をコントロールする。
だから自己管理しないといけない。食事や睡眠をおろそかにしない。
予定を詰め込みすぎない。頑張りすぎない。なんでもできると思って欲張らない。
それができない親は、この日本に圧倒的に多くいます。
自己管理すらできないのに、子どもを作って上の立場に立とうとするなんてね。
世間が「家族」というものを無条件で素晴らしいと認識してしまっている
不思議なことに、日本という国は親子というつながりを、いかなる理由であろうと続けるべきだと考えている人たちが圧倒的に多くいます。
「嫁が夫からDVを受けて苦しんでいる」、という悩みに対しては「別れたほうが良い」、「別居すべき」という解答があっさり出ます。
それなのに、「親からの体罰、怒鳴り声が辛いです。」という子どもの意見に対しては、「でもね・・・。親は子どもを愛するあまりにやってしまうの。」という意見になってしまいます。どちらも同じ被害なのに。
家族を題材にしたテレビやドラマなんかでもそうです。家族は幸せの象徴。
「なんだかんだで家族っていいよね。」というあらすじで構成されているものばかり。
クレヨンしんちゃんの映画なんかがまさにそれに当てはまります。「家族がいればどんなことだって乗り切れる!」という美しいシーンで話が締めくくられる。
僕はそういったクレヨンしんちゃんの製作陣の意図が理解できないので見れなくなりましたが、世間の人たちはそれを「うんうん。」と納得して満足する。
それと同じように、親を殺したいと本気で嫌悪している子どもですら、いつか親の気持ちがわかって和解できるものだと、世間の人たちは信じてしまっている。
どんなことがあろうとテレビのドラマのように、最後は親と子で抱きしめあい、「ごめんね。」と言ってお互いが泣きあう。
それがハッピーエンド。その光景を見る人たちも「良かったね。仲直りできて」と一緒に涙する。そんなオチを望んでいる。
だから親子関係の溝を楽観視しているし、なぜか子どもにばかり「親のことを分かって。」と言ってしまっています。
これも毒親が治らない原因の一角を担っているものだと、僕は感じています。
割れたガラスは元には戻りません。目に見えない人間関係が、なんでも元通りにできるなどとは思わないことです。
毒親と似ている人たち
メンヘラ彼氏、メンヘラ彼女
メンヘラとは「自分は相手に何もしてあげないのに、相手には何でも要求する人たち」のことで、恋人になったことでそれが発覚するのがメンヘラ彼氏、メンヘラ彼女です。
この人たちと、毒親は近い性質を持っています。
メンヘラ彼氏、メンヘラ彼女は恋人という立場を利用して、相手にあれこれと要求し、愛情を貪ります。
「俺は働きたくても働けないんだ。お前が金を持ってきてくれ。じゃないと俺は死んじゃう。俺を見殺しにするのか。俺はお前をこんなに愛しているのに、お前は俺を愛してくれないのか。」
「お前が俺のことを愛しているなら避妊なんてしなくていいよな?でも子どもができちゃっても俺は知らないからな。勝手に堕ろしとけよ。」
「私はあなたのことをこんなに愛しているのに、自分のことばっかりで、私のことなんか気づかってくれない。どうして昨日の夜、返事してくれなかったの。夜は必ず電話するって決めたでしょ。最低。」
「どうして私にやさしくしてくれないの。私が仕事でどれだけ辛い思いしてるかもわからないの。彼女が辛そうにしてる時に思いやるのが彼氏のやることじゃないの。もう私、どうしていいかわかんない。」
毒親と同じように、自分が抱えているストレスのはけ口として相手にぶつけてしまっています。
相手のあら探しをして、それを追求する形でぶつける。相手がいくら悪いところを治しても、メンヘラ本人が治らない限り、トラブルが絶えることはありません。
ストーカー
「俺はこんなにあいつを思っているんだ。きっとわかってくれるし、別に悪いことじゃない。」と追いかけまわしたり、電話やSNSで粘着してくるストーカーも毒親と同じ気質の持ち主です。
とにかく一方的に、与えてやっているとストーカー本人が思っているので、周囲の指摘がない限り治ることがない。指摘があっても認めない。
「愛情」という言葉を自分の行いの大義名分に利用しているだけで、ストーカーが行き過ぎて相手を殺してしまっても、それは「愛しているから」、で片付けてしまう。
毒親と同じ、愛情にすがる自分をコントロールができない低質な人間です。
まとめ
毒親というのは愛情というドラッグをやめられない麻薬中毒者
毒親に似た人たちがメンヘラとストーカーであるように、愛情を他者から受け続けることをやめられません。
しかも初めにもらった愛情では足りないので、どんどんと吸い続ける量は増していきます。
愛情が尽きれば、禁断症状が出る。
イライラする。暴れたくなる。この怒りの矛先をどうしてくれる、と。
そして許せない気持ちで心が満たされる。「許せない、あいつが憎い。俺を愛さないあいつが憎い。」
なので、毒親ってのはメンヘラと同じです。
自分の管理もできないまま、親になってしまった哀れな人たち。
その毒親との接し方は、関わらないことです。
そして毒親の遺伝子を受け継いでしまった子どもは、その遺伝子を矯正するために自分の時間を使ってください。親と同じことを繰り返さないために。
自己管理ができてないうちに、子どもを作るのはやめてほしいです。
その子どもが親にとっての大麻、愛情を得るためのドラッグとなってしまうから。
[スポンサードリンク]
もうすっかりなんにつけても、何をやるにしても自分に自信が持てない人間になってしまってね。
唯一、この才能はあるんじゃないかということに打ち込んでもそれすらも信じられない結局否定しては投げ出してしまう。
俺はあの時、包丁を背に両親が眠る寝室に入って、眠る両親の前に立ったんだ。
幼いながらもこの二人が異常であることを感じてたんだと思う。
あの時、殺していればこんな人生にはなり得なかっただろうね。
もし、人生に分岐があったとするなら、あの時に殺すかどうかだったんだろう。
今となってはもう遅い。ただ両親を焼却炉に放り込んで悶える様を日々想像するような毎日。
お願いだから早く死んでくれ、お願いだから。そればっかりで。
両親から逃げる、それはつまり自殺を決行するということ。
あいつらは己が幸せを求めてこ作りに励み、自分はさぞ素晴らしい母親で父親であるとまるで信じて疑わない。
本当に恐ろしい。あれらは果たして本当に人間なのだろうか。
もし、僕が逃げ出すことに成功したら、あれらは素晴らしい両親のつもりでいるので泣くのだろう。
葬式を上げるなと遺書を残しても上げるだろう。
あれらが泣くのが憎らしい、あれらが息子を亡くした哀れな親として周りからいたたまれるのが憎らしい。
自殺とはなんて親孝行だろう。憎らしくて死にきれない。死後の世界に地獄があるなら、あの豚めらとまた地獄で一緒になってしまうのだろうか。
ああ、基地外がこんな時間に料理を始めたよ。
あの時に殺していれば。殺していれば。
人生ってさ、本当はとっても楽しいものであるはずなんだと思う、きっと。
殺していれば違ったなんてさ、神様がいるんだとすれば、あの時の僕に包丁を握らせたのは神様だったのかもね。